下戸バッケーの古希まとめblog

古代ギリシャの文学、宗教、神話、言語についての忘備録。

ふたつのエリス

エリス(Ἔρις)古代ギリシアにおける争いの女神の名前です。

この女神は「エリスたち」と何人かいるように表されることがあります。

エリスはどのような女神であったのか、叙事詩(韻を踏んだ言葉で記された物語)で記された姿を探してみました。

 

詩人ホメロスイリアスという叙事詩では、エリスたちは軍神アレスの妹で戦友であるとされています。

イリアス』のエリスたちは、飽くことなく荒れ狂い、兵士たちの苦しみをさらに増やそうと、争い合うふたつの軍勢にお互いの敵意を叩き込んでいきます。(イリアス第四歌440行〜445行、第五歌518行)

冷酷無惨で数知れぬ悲嘆を呼び、敵意によって両軍が争う様を見て喜ぶ姿は、とても恐ろしい姿で描かれています。(第十一歌3行、73行)

 

もう一人の詩人ヘシオドス「神統記』という物語では、エリスはニュクス(夜)女神の子であると書かれています。

そしてエリス(争い)からは、ポノス(労苦)、レテ(忘却)、リモス(飢餓)、アルゴス(悲嘆)、ヒュスミネ(戦闘)、マケ(戦争)、ポノス(殺害)、アンドロクタシア(殺人)、ネイコス(紛争)、プセウドス(虚言)、ロゴス(空言)、アンピロギア(口争い)、デュスノミア(不法)、アテ(破滅)という沢山の神が生み出たともあります。

並んでいる言葉を見ると、現代ではネガティブなイメージを持つ言葉が多く見られます。

もうひとつホルコス(誓い)という神もエリスから生まれました。

これは一見すると争いの調停手段が生まれたようにみえますが、それが偽りの誓いであった場合、ホルコスは人間を傷つける存在となります。(神統記226行〜232行)

 

ここまでに描かれているエリスは恐ろしく、人間を害するような女神に見えます。

しかし、ギリシア神話における神々は名前を持った個人ではなく、人間では計り知れない大きな力の働きを説明してくれる存在として描かれる面があります。

エリス(争い)は、すべてが人間を害するような働きしかしないのでしょうか?

 

実は、ヘシオドスは仕事と日』という労働を讃える詩で、「エリスはひとりにあらず」と言っています。

それは先ほどの『イリアス』で現れた複数の女神、という意味ではなく、エリス(争い)のもつ働きの違いについての複数性です。

まずひとつは、忌まわしき戦いと抗争をはびこらす残忍なエリス。

こちらは「イリアス』や『神統記』で現れたような、恐ろしい女神の姿です。

そしてもうひとつは、羨望の思いを抱かせ向上心を育むエリスです。

仕事と日では、このエリスによって同じ職種の者が敵意を燃やし、互いを妬みあうことで、仕事に向かうことが出来るのだと言っています。(神統記14〜41行)

 

哲学者ニーチェ『悲劇の誕生』の中で、このことについての驚きを述べています。

古代ギリシア人は嫉妬深かった、しかしこの嫉妬深さを欠陥とはせず、これは女神の恵みであり、そのおかげで仕事に邁進することができると考えたのだ!」

特にニーチェの居たキリスト教の文化では、嫉妬は七つの大罪のうちのひとつであるとされているので、嫉妬を肯定する考え方に特に驚きを感じたのではないでしょうか。

 

 

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ふたつのエリスが物語るもの

 

他人と相争うとする心自体を『仕事と日』では良いとも悪いともジャッジしていない。

ここで問題となっているのは、その争いの心からどのように行動を起こすか、ということ。

例えば自分と争っている相手を傷つけたり損なったりして勝利しようと考え行動を起こせば、ひとつめのエリスの領域、すなわち戦いと抗争の世界に足を踏み入れてしまう。

そうではなく、自分を高めて争いに勝利しようと考え行動したのならば、これはふたつめのエリスが司る領域の世界となり、そこに互いを傷つけ合う抗争は生れない。

ただ、この論理にも疑問がある。

『仕事と日』ではエリスによって、同じ職業同士(例えば、大工と大工、歌人歌人)の間で、敵意を燃やしたり、妬みあったりする。

その結果、働く気を起こして富を目指して励むことを奨励しているのだが、これを逆転させると「向上心を生み出すのは闘争心だけなのか?」という疑問が生まれる。

自らをより良き者にしようというのに、必ずしも競争相手が必要とは限らないのではないだろうか。

ここでヘシオドスが同業者の間で例えを出したのは、「よい大工」という高みがひとつあり、そこに至るのは何人もいる大工のうち一人だけだ、というシンプルな上下の構図によるものだ。

例えば現代であればその「よい大工」の中に多様性があり、「一戸建てを建てるのが得意な大工」「マンションを建てるのが得な大工」など競い合わないような状態も想定できる。

しかし、その考えがこの中では存在しない。

ふたつめのエリスが本当に自分の行動だけを変革するものならば、そもそも嫉妬や敵意という言葉を使わないだろう。

ふたつのエリス観では、争う気持ちという衝動にジャッジをつけることはせず、その後の人間の行動によって選択が出来るとした。

ただエリスは存在し続けている。

人が争い合わないということは、おそらくこの世界ではほとんどありえないようなことだと考えられていたのだろう。

ふたつのエリスの話を通して「そもそも人間は争い合うものだ」という概念が古代ギリシアの人々の間に強くあったということが、より鮮明に感じられるのではないだろうか。

 

 

 

参考文献

ホメロス

 『イリアス 上・下』(松平 千秋訳)岩波書店

・ヘシオドス

 『神統記』(廣川 洋一訳)岩波書店

 『仕事と日』(松平 千秋訳)岩波書店

ニーチェ

 『悲劇の誕生-ニーチェ全集<2>』(塩屋 竹男訳)筑摩書房

・J=P ヴェルナン

 『ギリシア人の神話と思想-歴史心理学研究』

 (上村 くにこ、ディディエ シッシュ、饗庭 千代子訳)国文社

はじめに

はじめまして、くれいしと申します。

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くれいし